「ガレッジセール」ゴリ監督・脚本、奥田瑛二さん主演、家族の絆がテーマの映画「洗骨」が2019年2月9日全国公開します。その奥田瑛二さんについて調べてみますと、若い頃の浮気などとても壮絶で、また奥田瑛二さんの娘や娘の旦那、嫁や嫁の家系図など家族について凄すぎなんです。そこで今回は、奥田瑛二の娘の旦那はだれ?若い頃の浮気がすごかった!と題して調査していきます。
奥田瑛二の長女安藤桃子のプロフィールと旦那はだれ?
奥田瑛二さんの長女の名前は安藤桃子(別名:安藤モモ子)さんと言います。
安藤桃子(あんどうももこ)さんは1982年3月19日生まれの現在36歳、出生地は東京都、職種は映画監督・作家です。2010年の「カケラ」で安藤モモ子名義で監督デビュー、2011年に小説「0.5ミリ」を出版し作家デビューされます。小説「0.5ミリ」は映画化されるのですが自身が監督・脚本、主演には実の妹安藤サクラさんを迎え、姉妹の共同作品となりました。
2014年3月14日一般男性の僧侶と結婚、2015年2月に第1子を出産されていますが、2018年5月下旬に離婚されたようです。
奥田瑛二の次女安藤サクラのプロフィールと旦那はだれ?
奥田瑛二さんの二女の名前は安藤サクラ(本名:柄本さくら)さんと言います。
安藤サクラ(あんどうサクラ)さんは1986年生まれの現在32歳、身長160cm、血液型A型、職種は女優、鈍牛倶楽部を経てユマニテ所属です。東京都出身で、学習院女子大学国際文化交流学部を卒業されています。
2008年のあきた十文字映画祭で出会った俳優の柄本明さんと角替和枝さんの長男柄本佑さんと3年の交際期間を経て2012年の3月14日に婚姻届を提出し結婚、2世俳優同士のビックカップルとなりました。2017年3月7日に第1子を妊娠を発表、同年6月27日のWebムービー「元、落語家〜話が下手な元噺家のハナシ〜」公開プレミアム上映会において柄本佑さんが第1子出産(女の子)を報告されました。
奥田瑛二の嫁安藤和津さんのプロフィールと馴れ初めは?
奥田瑛二さんの嫁はエッセイイストでタレントの安藤和津さんです。
安藤和津(あんどうかづ)さんは1948年3月6日生まれの現在70歳、東京都台東区に生まれました。出身校は学習院初等科、学習院女子中等科、学習院女子高等科卒業、上智大学文学部独文科を中退されています。奥田瑛二さんとは1979年に結婚されています。
安藤和津さんと奥田瑛二さんの馴れ初めは、1979年に友人のパーティーで出会われたようで、その後なぜか奥田瑛二さんが安藤和津さんの自宅で倒れたらしく、そのまま一か月ほど奥田瑛二さんの面倒をみてあげたようなのです。これを周りから見ていた安藤和津さんの母親がこの2人ならうまくいくのではと思い結婚したらと忠告したとのこと。まだ売れていなかった奥田瑛二さんを勧めたとは何か才能を感じたのでしょうか。
奥田瑛二の嫁安藤和津さんの家系図がスゴイ?
奥田瑛二さんの嫁安藤和津さんの家系図がスゴイというので調べてみました。
安藤和津さんの祖父は内閣総理大臣を務めた犬養毅さんで父親は法務大臣まで務めた犬養健さんです。母親の名前は萩野昌子さんと言い、柳橋の芸者をされていて安藤和津さんは父親の妾の子として生まれました。その他にも評論家犬養道子さんは異母姉、犬養康彦さんは異母兄、国際協力機構理事長の緒方貞子さんは従姉の娘にあたるそうです。
奥田瑛二が若い頃喜多嶋舞と浮気?その他は?
かつては不倫したい男NO.1とまで言われた奥田瑛二さんですが、若い頃の浮気相手一覧が出きるほどと、安藤和津さんを悩ましていたと言います。
奥田瑛二さんの若い頃浮気相手として一番に名前が挙がるのは女優の喜多嶋舞さんです。喜多嶋舞さんは歌手・俳優の大沢樹生さんと結婚されていましたが、お二人の実子問題では一時期奥田瑛二さんが子供の父親ではないかと言われていました。大沢樹生さんが奥田瑛二さんから「自分の子ではないか」と言われたらしく、それに対して喜多嶋舞さんは付き合っていた時期(妊娠していた時期)が違うと否定されています。奥田瑛二さんは喜多嶋舞さんとお付き合いされてたことは素直に認められています。
奥田瑛二さんは喜多嶋舞さんの他にも美人歌手Sさんや、芸能界だけではなく一般女性たちとも浮気していたのでは?と言われています。実際に明石家さんまさん津川雅彦さんと「イケてるおじさんトリオ」で合コンざんまいしていたそうですし。
奥田瑛二の介護がスゴイ?
安藤和津さんが語る母親の壮絶なエピソードがあると言います。
安藤和津さんの母親は妾の子だったため、女手一つで安藤和津さんを大切に育てられました。そんな母親がある頃から感情の起伏が激しくなり奇妙な行動をするようになります。後からわかったことですがそれは脳腫瘍のせいで、今後は認知症もひどくなっていくと医師から告げられます。ある日母親が排泄に失敗し、汚れた下着を脱がせトイレに誘導しようとした安藤和津さんでしたが、母親の体重が70kg近くあったため支えきれず困っていたところ、帰宅した奥田瑛二さんが「おかあさん僕ならいいよね」とという問いかけに「うん」と母親が返事をし、奥田瑛二さんが汚れたお尻を抱きかかえお風呂で洗ってあげたというのです。
いつの間にか2人がそんな深い関係になってたのかと、後に安藤和津さんは熱い思いが込み上げたそうです。奥田瑛二さんだけではなく子供達も介護に協力をしてくれるとも話され、家族の絆はしっかりと出来てるようです。
奥田瑛二のプロフィールと経歴
奥田瑛二さんのプロフィールと経歴を簡単にまとめました。
奥田瑛二(おくだえいじ)さんは本名:安藤豊明、1950年3月18日生まれの現在68歳、愛知県東春日井郡高蔵寺町(現:春日井市)出身です。身長175cm、体重60kg、血液型AB型。学歴は東邦高等学校卒業、明治学院大学法学部中退です。職業は俳優・声優・ナレーター・映画監督・画家と幅広く活躍されています。小学5年生の時に見た大友柳太朗さんの「丹下左膳」を観て衝撃を受け役者を志ます。1976年映画「円盤戦争バンキッド」で主演デビューされるも、しばらくは役に恵まれなかったようです。3年後の1979年映画「もっとしなやかに、もっとしたたかに」で演技が認められました。
その後1985年のドラマ「金曜日の妻たちへⅢ恋におちて」に出演されてからは順調で、「男女7人夏物語」など出演したドラマはどれも大ヒットとなります。また同時期に出演された映画「海と毒薬」では毎日映画コンクール男優主演賞を受賞されました。
奥田瑛二の娘の旦那はだれ?若い頃の浮気がすごかった!のまとめ
奥田瑛二の娘の旦那はだれ?若い頃の浮気がすごかった!について書いて参りました。
なんだかんだと女性関係が派手だった奥田瑛二さんですが、現在は素晴らしい家族に囲まれ、また家族の絆を何より大切にされていることがわかりました。これからも娘さん達やお婿さんと協力しあって素敵な作品を作りあげて下さい。
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