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瀬戸内寂聴はくずってどういうこと?置いていった娘の現在も調べてみた!

瀬戸内寂聴 未分類

チャーミングな笑顔の「尼僧」として知られている瀬戸内寂聴さんは尼でありながら「作家」としての顔も持っていらっしゃいます。そんな瀬戸内寂聴さんがくず呼ばわりされていると言います。また瀬戸内寂聴さんは不倫で夫と別れ、小さい娘を置いて出て行ったことがあり、その娘の現在は?とも話題になっています。今回は瀬戸内寂聴はくずってどういうこと?置いていった娘の現在も調べてみた!について調査しました。

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瀬戸内寂聴はくずな人生?若い頃の不倫

瀬戸内寂聴さんがくず、娘の現在は?と話題になっていますが、その訳は瀬戸内寂聴さんの若い頃の不倫が原因だと言います。ということで過去の真相に迫ってみました。

瀬戸内寂聴さんは学生時代に結婚されその時の年齢は21歳でした。そのお相手は学者さんだと言います。しかし結婚してから4年くらい経ってからでしょうか、瀬戸内寂聴さんは夫の教え子の年下の青年と恋に落ちます。そうです、不倫関係となるのです。

実は瀬戸内寂聴さんには夫との間に娘がいましたが、青年との愛を貫くため家を出て行くことになるのですが、娘は連れて行かず置いて出て行ってしまったのです。当時の娘の年齢は3歳で幼い子供を手放し、男の方に走ってしまったことがくずな人生だと言われるきっかけとなったようです。

瀬戸内寂聴はおいていった娘と和解している?

瀬戸内寂聴さんがくずな人生、捨てられた娘の現在は?と気になりますが、今では置いていった娘と和解しているのでは!とも噂されています。

娘の現在どうしているかはっきりとした情報は見つかりませんでした。しかし瀬戸内寂聴さん自身は娘と和解していると語られています。不倫というあってはならない環境のなかで娘まで置いて出て行ったとなると残された夫と娘はきっと肩身の狭い思いを虐げられてと思います。いくら小さかったといえ娘の心境を考えると可哀想でたまりません。時間は経ったからといえど母を許したということは瀬戸内寂聴さんが娘から許される存在になったということなのでしょう。また母を許すことができた娘も素晴らしい女性であるといえます。

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瀬戸内寂聴の小説家の活動

瀬戸内寂聴さんが小説を書き始めたのは女学生時代だったと言います。実は「瀬戸内」というのは高等女学校時代に親戚と養子縁組し改姓したためで、もともとの姓は「三谷」なので小説家としては「三谷晴美」をペンネームとしているようです。

1950年に正式な離婚をした瀬戸内寂聴さんは、小説家を目指します。本格的に作家デビューするのは、1956年処女作「痛い靴」を発表、同年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞されます。1963年三角関係で不倫の恋愛体験を描いた「夏の終り」で女流文学賞を受賞し、作家としての地位を確立します。

以後多くの恋愛小説、伝記小説を書き人気作家となりますが、30年間純文学の賞、大衆文学の賞ともに受賞はありませんでしたが、1988年に出した「寂聴 般若心経」は1年で43万部を売るベストセラー、「源氏物語」の現代日本語文法訳でもその名を知られることとなります。

瀬戸内寂聴の出家

瀬戸内寂聴さんは、修道女を志すも、不倫で男と関係を持ち幼い子を残して出て行ったという過去の行状から教会から拒否されたと言います。また出家を志して多くの寺院にあたるも拒否されてしまいます。

そんな中、1973年に今春聴(今東光)和尚が得度を引き受けてくれました。今春聴(今東光)和尚は瀬戸内寂聴と同じ小説家でもあります。一言「急いでるんだね」の言葉を与え、その場を清め急ぎ得度を終了させたと言います。

尼僧としての活動も熱心で、週末には青空説法として法話を行なっていました。瀬戸内寂聴さんは通常の出家とは違い、恋愛・化粧・飲酒もしている、肉もたくさん食べている、と自ら認めておられます。

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瀬戸内寂聴の尼僧での活動

出家の道のりは大変長かった瀬戸内寂聴さんですが、中尊寺天台宗で得度された翌年、60日間の行を乗り越え週末には法話も行う人気尼僧となります。

瀬戸内寂聴さんが地方講演などでよく「笑うことが大切である」と言われています。瀬戸内寂聴さんの説法には感銘を受けた人もたくさんいるでしょう。実際私も(テレビですが)説法を見た時は自身を見直すことができ、考え方を改め少し楽になったことがありました。

瀬戸内寂聴さんの座右の銘は「生きることは愛すること」。本当にそうだと思います。

瀬戸内寂聴の二人の娘の経歴と現在は?

瀬戸内寂聴さんがくず、娘の現在は?と話題になっていますが娘さんの経歴と現在の関係のついて調べてみました。

瀬戸内寂聴さんは若くして結婚したにも関わらず娘を捨て不倫に走りましたが、この時捨てられたという娘は現在74歳になっておられます。子供はこの娘一人のようです。瀬戸内寂聴さんとは長い間断絶状態であったと思われますが、瀬戸内寂聴さんが出家した数年後には和解することができたと言います。

娘さんの現在を調べてみましたが名前も公表されておらず、はっきりとした情報はありませんでした。また娘の画像も探してみましたが、瀬戸内寂聴さんと写っている70代の女性の写真はいくつかありましたがそれが確実に娘かどうかはわかりませんでした。

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瀬戸内寂聴の旦那との馴れ初めとと離婚理由は?

徳島県出身の瀬戸内寂聴さんは戦前に故郷の四国から東京の女子大学に進みますが大学在学中、1943年21歳の時にお見合いで結婚されます。旦那となった方は中国古代史を研究する学者でした。旦那の仕事の都合で結婚したその年北京に渡ります。

終戦翌年の1946年に日本に帰国しますが、瀬戸内寂聴さんは学者である旦那の教え子と恋愛関係になり、不倫関係に発展します。不倫のことは自身で旦那に告白(罪の意識に耐えられず)、当時3歳だった娘を捨て京都へ男を追いかけていきます。旦那と正式に離婚したのは1950年であるといいます。

瀬戸内寂聴はくずってどういうこと?置いていった娘の現在も調べてみた!のまとめ

瀬戸内寂聴はくずってどういうこと?置いていった娘の現在も調べてみた!について書いてきました。

瀬戸内寂聴さんにはたくさんの名言があります。その中で私が大好きな言葉が「どんな悲しみや苦しみにも必ず歳月が癒してくれます。そのことを京都では『日にち薬(ひにちぐすり)』と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬なのです」。

現在96歳となられた瀬戸内寂聴さん、大きな病気も何度か経験されるも一命だけは取り留め、そしてなんとか回復・活動されています。まだまだ活躍して私たちにあなたの名言聞かせて下さい。

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