山田邦子さんが6月30日にそれまで所属していた「太田プロダクション」を6月いっぱいで退社、7月から40年ぶりにフリーとして活動していくことを明かされました。
そんな山田邦子さんについて調べていきますと、過去に乳がんを患い手術を受け、放射線治療や主治医の指導のもと薬物療法にて病気を克服されていることがわかりました。
今回は山田邦子さんの80年代から90年代全盛期だった若い頃の情報も合わせて「山田邦子の乳がん克服は主治医との信頼関係?若い頃の年収がヤバイ!」と題して調査に入ります。
山田邦子のプロフィールや経歴
まずが山田邦子さんのプロフィールや経歴について簡単にまとめていきたいと思います。
山田邦子(やまだくにこ)さんは、
- 本名:後藤邦子
- 生年月日:1960年6月13日
- 年齢:59歳(2019年7月現在)
- 出身地:東京都板橋区
- 身長:168cm
- 学歴:川村短期大学家政科
学生時代から落語家を目指し早稲田大学の寄席演芸研究会に入部していましたが、落語家には向いていないと漫談家へ転向し漫談に才能を発揮しました。
高校1年時に西城秀樹さんのものまねで「TVジョッキー」に出演、その後素人参加番組に多数参加で常連となり有名になっていきました。
素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」で持ちネタのバスガイドネタを披露しチャンピオンになり、プロとなった山田邦子さんは太田プロダクションに所属します。
山田邦子の乳がん克服は主治医との信頼関係?
2007年に乳がんを患い克服されていたのですが、そこには主治医との時間をかけた信頼関係があってのことだったと言います。
2007年に乳がんが見つかった山田邦子さんは、国立病院機構横浜医療センター乳腺外科の土井卓子先生の紹介で、聖路加国際病院の中村清吾先生にお願いしましたが、多忙故に同じ科の矢形寛先生が主治医となりました。
早く手術をして欲しいという山田邦子さんの思いを他所に、検査・検査で結局検査が始まってから手術までに2ヶ月近くかかったそうです。
ですがその間矢形寛先生はじっくりと話をし、すぐに手術をしない理由も的確な説明をしてくださったようです。
山田邦子さん自身も検査結果がほぼ出揃った時点では、矢形寛先生に手術をしてもらいたいと願うようになっていたと言います。
山田邦子さんの乳がんの病状や手術についての説明の中で、山田邦子さんが最後に「先生、私死ぬ?」の問いに、先生は「死なない!」と即答で答えられました。
そのことはこんな時にはきっぱり即答すれば安心するという、「山田邦子さんの性格まで把握してくれていた」ということがわかったと話されていました。
山田邦子の若い頃の年収がヤバイ!
山田邦子さんは最近テレビで見ることが少なくなりましたが、若い頃は冠番組も多く抱える女性で「唯一天下を取ったお笑いタレント」として有名でした。
テレビで見ない日はないという山田邦子さんの若い頃の活躍ぶりで、まず忘れていけないのは「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」ですよね。
また山田邦子さんは女性デュオWinkのパロディユニット「やまだかつてないWink」でCDデビュー!「さよならだけどさよならじゃない」は大ヒット曲となりました。
また1996年には「NHK好きなタレント調査」で好感度ナンバー1を獲得したりと、飛ぶ鳥落とす勢いとはこのことだと思います。
そんな山田邦子さんの若い頃の年収ですが、一部の情報では最高月収が1億円!単純に計算しますと年収12億円!と噂になっていました。
これは桁違いの金額が出てきましたよ!ですがお笑いタレントさんは歩合給が多いので月によって違いがあると思いますが、違いが出てくるにしろ10億円はあると考えて良さそうですね。
まとめ
今回は「山田邦子の乳がん克服は主治医との信頼関係?若い頃の年収がヤバイ!」について書いてきました。
テレビにはあまり出演されなくなった山田邦子さんですが、最近は舞台で笑いを取ってるようで流石の大御所と定評があるらしいです。